父の話

このブログは 私にとっては日記のようなものなので
急に 父の話を書こうと思いました・・・
楽しい話しでもありませんので どうぞスルーしてください。


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あと20分ほどで3月5日が過ぎる。
平成6年の3月5日 父が亡くなり 恐らく今の時間には家に帰ってきていた。

母のことは時々ブログにも書いてきたけれど
父のことは書けなかった。

平成6年だから・・・今平成25年だから・・・
19年前か~。

母の死因ははっきりしていた。癌だったから。
父の死因はいまいちはっきりしなかった。
特に持病もなかった。

ただ すごく仲良しの夫婦だったことは間違いない。
母を失って父が生きる気力をなくしたのは 今は理解できる気がする。

母が亡くなったのは 教師だった父が ちょうど校長になった1年目でもあった。
それまでも たくさんのことを母が支えてきたんだと思う。
その支えを失って どんな思いで過ごしていたんだろう。

当時花田の学校に勤めていた父。
母は当時の国立に入院していた。

ほとんど父は病院で過ごしていたと思う。
夜泊ったり 泊らなかった日は 朝めちゃくちゃ早く行ってた。

母の位牌を作るとき 父は迷わず夫婦(めおと?)位牌にした。
母の名前だけ入っていて となりはあいてるの。

今思えば 母がいなくなってから 父は必死で1年生きたんだと思う。
私たち娘や孫 それと 当時中学生だった弟のため。

母の1周期だけはすませて。
いや・・1周期じゃないなぁ。1年後の3回忌の日でした。
親戚もみんな帰ったあとで
それまで泣かなかった父が リビングに並べられた座布団につっぷして
ほえるように泣いたのを 唖然として見ていた記憶がある。

19年前の3月5日。
土曜日だった。
当時私の教室では珍しかった 大人のレッスンの日だったから覚えている。
レッスン中なのに 警察が二人ノックして入ってきた。

言葉は忘れたけれど お父さんが散歩中に倒れて病院に運ばれた という内容だったと思う。

私は レッスン中の20代の女性にそのことを聞かれたことに いややわ仕事中やのにと思った覚えがある。それでもすぐに病院に向かうために レッスン途中だったけれどそこで終わり病院に向かった。

救急車に乗せられたりしてみっともないことになった と病院のベッドの上で頭をかく父を思い浮かべながら病院に行った。

え? どういうこと? この姿は??
まさか? まさか 死んだん? 
思いもしなかった。だって朝元気だったやん!
河原に散歩に行くって出たんじゃないの???
レッスンが終わったら一緒に出かけるんじゃなかったん?

え・・

目の前が真っ白になった覚えがある。
なんで? どうして? 
え? 父は動かない。呼吸してない。
とっさにさわったら もう冷たかった。
看護婦さんたちがみんな下を向いていたのが印象に残っている。

誰かに連絡するよう言われた気がする。
誰に連絡する?
とっさに一番に思い浮かんだ人に電話した。
電話帳など持っていない。
電話番号を覚えていた人。
父の友人で 私たち家族の恩人。
なんて電話したか覚えていない。

千葉の妹に電話しても すぐには来れないと思った。
弟は・・・中学生だったから家にいたのか。
それも記憶にない。
土曜日だったから家にいたのか。わからない。思い出せない。

お医者さんからの説明によると 死因は急性心不全。
え? 心臓なんか悪いって言われたことなかったです。
私が話したのか かけつけてくれた父の友人ご夫婦が話してくれたのか
わからないけれど

母を失って 心痛のあまり心臓を止めたとか。
そんなこと聞いたことある???
なんで???弟はどうするん?

怒りともつかない複雑な思いで 中学生の弟を喪主にたて(代理は叔父たちが)父の葬儀を行い いろいろな手続きをすませ 妹夫婦も帰り 弟も学校に行くようになり。

さて・・・そのあたりの記憶ははっきりしない。
ただ これからどうする? なんとかしなきゃ。としか思ってなかったような。

母 父と 続く葬儀で 恐らく顔をひきつらせていた私だったろうか。
葬儀の間 まだ保育園児だった二人の娘を知り合いに預かっていただいていた。
その長女が 泣けなくなっていたのに気がついたのはいつだったろう。

泣いているのに 声をださず涙だけ流し続けている幼い姿を見たとき
私は娘になんていったんだろう。
たぶん すぐにはその深刻な状態に気付かなかったと思う。
その時のことが 幼い長女をどのくらい傷つけたのか その後ずっと悩んできた。
だから一時期 親に反抗的になったときも 私のせいだと思った。

あれから19年。

父の死に関する事をはじめて書けた。

母は52歳。父は55歳まで生きた。
私は今50歳。

学生結婚だった二人が 死ぬまで仲良く生きてくれたおかげで 
私は50年も生きてきて
中学生だった弟は結婚し5月にはパパになる。
娘たちは 22と23歳になった。
春には次女も社会人。

母の死に関しては 早く気付いてあげられなかったことを悔やみ
父に関しては 複雑な思いで 長く仏壇の前に座ることができなかった。

でも 今ようやくみんな両親のおかげと感謝の言葉をいえるようになった。

残った私たち家族は 時には大げんかもするけど 嬉しいことがあれば笑い 一生懸命生きることができている。

いつかあなたたちのもとに行く日まで もうしばらくしっかりやっていきます。ありがとう。





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